管理職や経営幹部の求人で応募が集まらないとき、最初に疑われるのはたいてい年収です。次に役割の魅力、そのあと媒体。ここまでは順当な順序です。
ただ、私たちがオーナー企業の幹部採用を支援していて何度も見てきたのは、募集条件の「雇用形態」欄が、応募を静かに狭めているケースでした。具体的には「取締役」での募集です。
幹部採用の条件を詰めていくと、ある局面でほぼ必ず同じ相談が出ます。「給与に手当がいろいろ入ってきて管理が複雑になる。であれば、いっそ最初から役員として就任させたほうが良いのではないか」——オーナー社長からのこの提案です。動機は合理的で、否定すべきものではありません。ただ、その狙いは執行役員という形でも全部満たせて、しかも募集面で不利になりません。この記事では、支援の現場で実際に使っている整理をそのまま公開します。
なお、以下は法務・税務の判断そのものではありません。制度上の制約は「こういう論点がある」という範囲で書いていますので、最終的な設計は顧問税理士・社会保険労務士の確認を前提にしてください。
「いっそ取締役で」の裏にある、3つの狙い
採用の話をしているはずが、途中から雇用形態の話に変わる。この現象には理由があります。オーナー社長がこの提案をするとき、狙いはだいたい次の3つに整理できます。
- 報酬管理をシンプルにしたい——手当が増えると管理しきれない
- 成果が出なかったときに関係を解消したい——株主総会で解任できる、という認識
- 他の社員との報酬格差を説明したい——別テーブルとして整理したい
3つとも、経営としてはまっとうな要求です。ここを「採用の話に戻しましょう」といなすと、話が進みません。採用支援側がやるべきなのは、この3つを満たす別の形を出すことです。
そして採用の観点から言うと、②の「取締役なら成果が出なければ解任できる」という前提は、実はいちばん危うい部分でもあります。後述しますが、関係の解消という一点だけを見ると、取締役はむしろ確実性が低い形です。
求人媒体では、「取締役」は応募を狭める条件になる
ここが、採用支援側からしか言えない部分です。
取締役は雇用契約ではなく委任契約なので、原則として雇用保険・労災保険の対象外になります(健康保険・厚生年金は継続します)。求人媒体で「取締役」の募集を見たとき、この点を理由に応募を慎重に検討する方は一定数います。支援の現場では、年収700万円前後の事業統括職・幹部職を探している層と、この点を気にする層はかなり重なる、という傾向を感じています。すでに家庭があり、転職に伴うリスクを計算して動いている層だからです。
ここは経験則なので「応募が何割減る」と数字で示せるものではありません。ただ、雇用形態の欄ひとつで応募を検討する母集団が絞られること自体は構造的な話です。幹部・管理職の採用はもともと母集団が薄く、少数の応募で決める設計になります(応募数を増やす設計とは別物である点は「母集団形成の前に決めるのは「集める数」ではなく「落とし方」」に書きました)。もともと薄い母集団を、条件欄でさらに削る必要はありません。
そしてこの視点は、顧問税理士や社会保険労務士からは出てきにくいものです。法務・税務として取締役が成立することと、募集条件として応募が集まることは別の話だからです。「制度としては問題ない」という回答と「求人として不利にならない」という回答は、同じではありません。ここを埋められるのは採用支援側だけです。
経営課題として「人材確保・採用競争への対応」を挙げる企業は53.9%で第1位という調査もあります(出典: パーソル総合研究所「人事部トレンド定量調査2026」。従業員300名以上の企業が対象なので、中小・オーナー企業にそのまま当てはめる数字ではありません)。幹部人材の確保が経営課題の中心に来ていること自体は、規模を問わず実感と一致します。
執行役員なら、3つの狙いを満たしたまま雇用契約で運用できる
代替案として私たちが出しているのは、「執行役員」の呼称+初年度は有期の契約社員という形です。
要点は1つで、執行役員は会社法上の役員ではありません(執筆時点の整理です)。社内の呼称・役職として運用するものなので、雇用契約のまま置けます。だから雇用保険・労災も継続します。
先ほどの3つの狙いは、この形で次のように満たせます。
- ① 報酬管理をシンプルにしたい → 手当を役職手当1本に絞る。見直す項目が「基本給」と「役職手当」の2つだけになり、取締役にするより管理はむしろ簡単になります
- ② 成果不振時に関係を解消したい → 初年度を有期契約にしておけば、契約期間の満了で区切れます。解任の手続きも、正当な理由をめぐる争いも要りません
- ③ 社員との報酬格差を説明したい → 執行役員という別テーブルとして説明でき、報酬体系も分けられます
②について補足します。「取締役のほうが切りやすい」という認識は、実務上はむしろ逆です。取締役を正当な理由なく任期の途中で解任すると、残任期間の報酬相当額を損害として請求されることがあります(会社法339条2項)。そして「成果が出ない」がこの正当な理由に当たるかどうかは、争いになり得る論点です。有期雇用の期間満了のほうが、関係の解消としては確実ということになります。この一点は、オーナー社長にとって意外性があり、いちばん納得されるポイントです。
キャリアパスとしては、入社時は契約社員+執行役員の呼称、2年目に正社員+執行役員、3年以内に取締役就任、という段階を置く形が収まりやすい設計です。「いずれ役員になる」という到達点は残したまま、初年度のリスクだけを両者にとって軽くできます。
報酬の内訳は「基本給+役職手当」の2本に絞る
報酬設計も、シンプルにするほど後で動かしやすくなります。年収700万円台の事業統括職を例にすると、組み方は次のようになります。
- 基本給:42万円/月
- 役職手当:6万円/月(事業統括の職責に対して)
- 月額固定:48万円/月 = 年576万円
- 賞与:基本給42万円 × 1.5か月 × 年2回 = 126万円
- 年収:702万円
ポイントは2つです。1つ目は、資格手当・勤続年数手当・家族手当を事業統括職には適用しない整理にすること(通勤手当のみ実費で別建て)。これで「手当が増えて管理しきれない」という最初の懸念が消えます。
2つ目は、賞与の算定基礎が基本給だという点です。だから「成果に応じて動かしたい部分」は役職手当のほうに寄せます。役職手当を調整しても賞与への波及を抑えられるので、あとから報酬を見直すときに設計が壊れません。逆に基本給を動かすと賞与まで連動して動きます。どちらを動かす前提の設計にするかを、入社前に決めておくのが実務です。
この「入社前に確定させておく」という発想は、幹部採用に限らず定着率に直結します。何を先に取り寄せて何を決めておくかは「定着率向上の取り組みは、入社前に確定させた6項目で半分決まる」にまとめています。
それでも取締役で行く場合に、先に決めておく4点
オーナー社長が「それでも取締役で」と判断することもあります。その場合は押し切られる前に、次の4点を先に決めておきます。2案を並べて出すと、社長は自分の案を否定されずに判断できます。
- 任期は1年にする——正当な理由なく任期途中で解任すると残任期の報酬相当額を請求されることがあるため(会社法339条2項)、任期満了で自然に区切れる形にしておきます
- 報酬は期中に変更できない前提で組む——定期同額給与の扱いがあるため、原則として事業年度開始から3か月以内の株主総会でしか変更できません
- 賞与を出すなら事前確定届出給与——金額と支給日を事前に確定して届け出る必要があり、業績連動にはできません
- 雇用保険・労災が対象外になる——健康保険・厚生年金は継続します。兼務役員として雇用保険を継続できる場合もありますが、これはハローワークの判断が要るので、募集の段階で確定情報として書けるものではありません
報酬の組み方も変わります。同じ年収を役員報酬のみで払うと、賞与という成果連動部分が消えます。賞与を残すなら事前確定届出給与として金額と支給日を先に確定させることになります。いずれも「成果に応じて期中に動かす」運用はできなくなるのが、執行役員との実務的な差です。繰り返しになりますが、これらは制度上の論点であって可否の判断ではありません。実際の設計は顧問税理士・社会保険労務士に確認してください。
雇用形態を決めると、求人原稿の直し方まで決まる
最後に、採用実務への波及です。ここは意外と見落とされます。
- 執行役員で行く場合:求人のタイトルと雇用形態欄の修正のみで済みます。給与・待遇の記載はそのまま使えます
- 取締役で行く場合:雇用形態・給与・待遇の記載を全面的に組み直します。社会保険の記載、賞与の書き方、契約形態の説明がすべて変わります
つまり雇用形態の決定を後ろに倒すほど、求人原稿の作業が二度手間になります。要件定義の段階で決めておくべき項目だということです。
もう1点、事業統括職を管理監督者として整理する場合は、求人票に「管理監督者のため時間外手当の対象外」と記載します。固定残業代の有無は明示する義務があるため、無記載という選択肢はありません。ここを書かずに出すと、入社後の条件認識のずれに直結します。求人票で何をどこまで具体的に書くかについては「求人票の書き方のコツは1つだけ。「入社後の自分」を想像させる具体性」も合わせて参考にしてください。
まとめ
- 管理職・幹部の採用で応募が薄いとき、年収や役割の前に「雇用形態」欄を確認する
- 取締役は原則として雇用保険・労災の対象外。年収700万円前後の幹部職を探す層とこの点を気にする層は重なりやすく、支援の現場では応募が絞られる傾向を感じている
- オーナー社長が「いっそ取締役で」と言うときの狙いは、報酬管理・成果不振時の解消・格差の説明の3つ。これは執行役員+初年度有期契約で全部満たせる
- 執行役員は会社法上の役員ではないため、雇用契約のまま運用でき、雇用保険・労災も継続する
- 「成果が出なければ解任できる」は実務上むしろ逆。有期契約の期間満了のほうが関係の解消は確実(会社法339条2項の論点を避けられる)
- 報酬は「基本給+役職手当」の2本に絞り、動かしたい部分は役職手当へ。賞与の算定基礎が基本給だから
- 取締役で行くなら、任期1年・期中変更不可・事前確定届出給与・雇用保険対象外の4点を先に決める
- 雇用形態が決まらないと求人原稿が確定しない。執行役員なら修正は2箇所、取締役なら全面組み直しになる
幹部採用は、母集団が薄いぶん条件欄の一行が効きます。年収を上げる前に、その一行で自分から応募を狭めていないかを確認してください。