中小企業の採用のご相談は、多くの場合この一言から始まります。「大手と給与で戦えないので、採用が難しい」。採用戦略の議論も、たいていはここを出発点にして「給与以外で勝てるもの」を探しにいきます。
ただ、この前提が本当かどうかを実際の求人票で確かめると、少し違う景色が出てきます。株式会社KD3が公開している求人相場ウォッチで、営業職の正社員求人8,679件を企業規模別に並べ直したところ、従業員1,000人以上の求人と29人以下の求人で、求人票に出ている月給の差は1.3万円でした。同じデータの地域差は2.8万円、経験要件による差は1.9万円です。規模は、この3つの中でいちばん効いていない変数でした。
この記事では、中小企業の採用戦略を「降りるべき土俵」と「戦うべき土俵」に切り分けます。
実査8,679件:企業規模で並べても、階段にならない
まず数字を出します。公的職業紹介に出ている営業(正社員)の求人を全国47都道府県で採取し、求人票の従業員数欄で区分したものです(提示額の月給下限・中央値/2026年8月27日時点)。
- 従業員1,000人以上(740件)——24.6万円
- 従業員300〜999人(908件)——24.1万円
- 従業員100〜299人(1,623件)——23.5万円
- 従業員30〜99人(2,638件)——23.2万円
- 従業員29人以下(2,733件)——23.3万円
最大と最小の差は1.3万円です。そして並びは一直線になりません。従業員30〜99人(23.2万円)は、より小さい29人以下(23.3万円)より0.1万円低く出ています。この0.1万円自体は誤差の範囲と見るべき差ですが、逆にいえば「規模が小さいほど月給が低い」という階段構造は、この実査では観測されなかったということです。
留保を先に置きます。この規模別の区分については中央値の信頼区間を算出していないため、順位そのものを断定することはできません。また媒体は公的職業紹介ひとつに固定しているので、「大企業の求人」とはこの媒体に出ている大企業の求人に限られます。大手が非公開求人や自社採用サイトで別条件の募集をしている可能性は、この数字では見えません。
そのうえで言えるのは、少なくとも求職者が同じ検索結果の中で見比べている求人票の上では、規模による月給の開きは1.3万円分でしかないということです。
同じデータで、地域は2.8万円動く
比較のために、同じ8,679件を別の切り口で並べ直します。
地域ブロック別では、首都圏25.0万円・関西東海24.1万円・甲信越北陸北関東23.0万円・北海道東北22.2万円・中国四国九州沖縄22.1万円。首都圏と北海道・東北の差は2.8万円で、95%信頼区間(2.50〜3.22万円)は0をまたぎません。しかもこの順序は、固定残業代のない求人だけに絞っても、業種を有形商材に揃えても、経験不問の求人だけに絞っても変わりませんでした。
経験要件でも動きます。経験必須の求人(1,129件)は25.0万円、経験不問(5,816件)は23.1万円で、差1.9万円は信頼区間(1.70〜2.50万円)が0をまたぎません。月給レンジの上限額でも35.0万円対30.0万円と開きます。
並べるとこうなります。
- 地域ブロック(首都圏 ↔ 北海道・東北)——2.8万円(信頼区間が分離)
- 経験要件(経験必須 ↔ 経験不問)——1.9万円(信頼区間が分離)
- 企業規模(1,000人以上 ↔ 29人以下)——1.3万円(順位は非単調・信頼区間は未算出)
採用戦略の議論で最初に持ち出される「規模」が、いちばん小さい変数だったわけです。なお営業職の相場そのものの読み方は「営業の採用単価は「商材」では決まらない。200件で調べ直した結論」で扱っています(同記事は前版N=200時点の実査にもとづくもので、今回の8,679件では地域差と経験要件の結論が更新されています)。
公的統計でも、開いているのは規模ではなく都道府県
この非対称は、自社の実査だけの話ではありません。厚生労働省の一般職業紹介状況(令和8年6月分・季節調整値)では、全職種計の有効求人倍率が1.18倍である一方、就業地別では最高が福井県1.72倍、最低が大阪府0.96倍と、都道府県のあいだで1.8倍近い開きがあります(出典: 厚生労働省「一般職業紹介状況(令和8年6月分)」/本稿執筆時点で公表されている最新月)。
つまり求職者1人あたりの求人の混み具合は、会社の大きさではなく、どの県で募集するかで決まっているということです。同じ会社が福井で募集するのと大阪で募集するのとでは、直面する競争がまったく違います。
もうひとつ添えておくと、大企業側も採用に苦戦していないわけではありません。パーソル総合研究所の調査では、経営課題の1位が「人材確保・採用競争への対応」53.9%でした(出典: パーソル総合研究所「人事部トレンド定量調査2026」)。ただしこの調査の対象は従業員300名以上の企業なので、中小企業にそのまま当てはめる数字ではありません。ここで読むべきなのは「300名以上の企業でも、採用は経営課題の1位である」という一点です。規模が採用の優劣を決めているなら、この結果にはなりません。
降りるべき土俵と、戦うべき土俵
以上を採用戦略に落とすと、こうなります。
降りるべき土俵:全国相場との比較。「営業の相場は◯万円らしい」という全国の中央値を基準に自社の給与を決めると、実際には比較されていない相手と比べることになります。実査でも、業種や商材で見えた差の多くは地域構成の反映でした(無形商材と有形商材は全国では0.8万円差がありますが、首都圏だけで比べると両方25.0万円で差が消えます)。比べる相手を同一商圏に絞るだけで、「負けている」という認識自体が変わることがあります。
戦うべき土俵1:商圏を狭く取り直す。地域差2.8万円は、経験要件1.9万円・企業規模1.3万円より大きい変数です。募集する県・通勤圏を明示し、その範囲の求人だけを競合として読み直します。競合の読み方そのものについては「中小企業の採用が難しい理由は知名度ではなく「競合の読み違い」」で詳しく扱いました。
戦うべき土俵2:要件欄を「経験」で刻む。実査では、経験要件が下限で1.9万円・上限で5.0万円(35.0万円対30.0万円)を動かしていました。一方で普通自動車免許の要否は、地域を揃えると月給を動かしません(首都圏だけで比べると資格不問25.0万円対免許必須25.1万円でほぼ一致)。要件欄に並べる項目のうち、金額の説明になるのは経験のほうです。逆にいえば、経験不問で募集しながら相場の上のほうを提示している求人は、その理由を書けば差別化になります。
戦うべき土俵3:内訳を先に出す。営業職の求人8,679件のうち65%は、提示額に定額手当か固定残業代が積まれています。基本給が提示額の9割を切る求人が48%、7割を切る求人が805件あります。額面で並ばれると勝てない会社ほど、内訳を書いた求人だけが「中身のわかる求人」になります。この構造は「求人票の手当は月給を上げない。実査1.6万件でわかった基本給の削られ方」で扱っています。
採用戦略の1枚目に書くこと
中小企業の採用戦略を1枚にまとめるなら、順番はこうなります。
- 商圏を決める(県・通勤圏を明示する。ここが最も大きい変数)
- その商圏の競合求人を10件、内訳まで読む(全国相場は使わない)
- 要件欄を経験で刻む(資格・免許では金額の説明にならない職種が多い)
- 月給欄の内訳を先に開示する(額面で並ぶ必要はなく、読める求人であればよい)
この4つには、いずれも原資が要りません。「大手に給与で負けている」という前提でこの4つを飛ばしてしまうと、実際にはまだ手を付けていない領域が残ったまま、給与改定という最も重い打ち手だけが選択肢に残ります。採用コストの上限そのものの決め方は「中小企業の採用コストは一人当たり平均でなく「自社の売上密度」で決める」を参照してください。
まとめ
- 営業職8,679件の実査では、企業規模による月給差は1.3万円。しかも従業員30〜99人が29人以下より0.1万円低く、規模と月給は一直線に並ばない
- 同じデータで、地域は2.8万円・経験要件は1.9万円動く。いずれも信頼区間が0をまたがない。規模はこの3つの中でいちばん効いていない変数だった
- 公的統計でも開いているのは規模より地域。全職種計1.18倍に対し、就業地別では福井県1.72倍・大阪府0.96倍(令和8年6月分)
- 降りる土俵は「全国相場との比較」。比べる相手を同一商圏に絞るだけで、負けているという認識自体が変わることがある
- 戦う土俵は、商圏・経験要件・内訳の開示の3つ。いずれも原資が要らず、給与改定より先に着手できる
※ 実査の数値は公的職業紹介の公開求人にもとづくもので、月給下限の中央値です。媒体を1つに固定しているため、民間求人サイトの非公開求人や高年収帯は含みません。企業規模別の区分は信頼区間を算出しておらず、順位を断定するものではありません。詳細な集計方法は求人相場ウォッチ(営業)に掲載しています。