「医療事務の募集を出しているが応募が集まらない」「採用してもすぐ辞めてしまう」。クリニックや病院の採用ご相談で、看護師と並んでよく出てくるのが医療事務です。そして原因を尋ねると、多くの場合「医療業界は給与水準が低いから」という説明に落ち着きます。
ところが、求人票を大量に読んで突き合わせると、この説明は正確ではありませんでした。株式会社KD3が公開している求人相場ウォッチで事務の正社員求人11,556件を実査したところ、医療・調剤事務の月給は、同じ医療・福祉の事業所に出ている一般事務の求人と比べても低いのです。低いのは業界ではなく、「医療事務」という職種の枠のほうでした。
この記事では、その構造を実査データで示したうえで、採用側が募集条件のどこを組み直せるのかを整理します。数字はすべて公的職業紹介に出ている正社員求人の月給下限の中央値です。
実査11,556件:事務のなかで、医療事務だけが一段低い
まず、事務の求人を区分ごとに並べます。求人票の職種名を先に見て、職種名で判断できない場合だけ仕事内容欄で補う規則で機械的に分類したものです。内訳にある基本給の中央値で並べると、次のようになります。
- 営業事務(1,124件)——20.0万円
- 経理・会計事務(1,611件)——19.7万円
- その他の事務(1,214件)——19.5万円
- 総務・人事事務(708件)——19.3万円
- 一般事務(4,606件)——18.9万円
- 医療・調剤事務(2,293件)——17.5万円
医療・調剤事務だけが、ひとつ下の段にいます。他の5区分をまとめた19.0万円と比べて1.5万円低く、両者の信頼区間は重なりません。そしてこの向きは、首都圏から北海道・東北まで5つの地域ブロックすべてで同じでした。特定の地域の事情ではないということです。
ちなみに医療・調剤事務は、事務の求人11,556件のうち2,293件を占めます。公的職業紹介に出ている事務の求人の、およそ5件に1件が医療事務です。件数の少ない特殊な枠ではなく、事務職の主要な区分のひとつとして、この水準にあります。
「医療業界だから低い」ではない。同じ業界の一般事務のほうが高い
ここが今回いちばん確認したかった点です。医療事務が低いのは、医療・福祉という業界全体が低いからなのか、それとも医療事務という職種だからなのか。切り分けるには、医療・福祉の事業所が出している求人だけを取り出して、そのなかで職種を比べればいいことになります。
結果は明確でした。医療・福祉の事業所のなかだけで比べても、医療・調剤事務19.2万円に対して一般事務19.7万円で、差が残ります(信頼区間は重なりません)。同じ病院・同じ法人が出している事務の求人でも、「医療事務」という職種名がついた瞬間に水準が下がる、ということです。
業界の水準そのものも確かに低めではあります。業種別に見ると医療・福祉(3,341件)の事務は提示額19.5万円で、掲載した9業種のなかで最も低い水準でした(最も高い情報通信業は22.0万円)。ただし業界の差を打ち消しても、職種の差は残ります。「医療業界だから」で説明を止めると、自分でコントロールできる部分を見落とすことになります。
提示額で見ると差が縮む。資格手当が見た目を近づけている
もうひとつ、採用側が誤解しやすいところがあります。求人票に出ている提示額(基本給+定額的に支払われる手当+固定残業代)で見ると、この差は小さく見えるのです。
- 提示額——医療・調剤事務19.0万円/一般事務20.0万円(差1.0万円)
- 基本給——医療・調剤事務17.5万円/一般事務18.9万円(差1.4万円)
提示額のほうが差が小さいのは、医療事務の求人が手当を厚めに積んでいるからです。医療・調剤事務は基本給が提示額の92.9%であるのに対し、他の事務区分は100.0%——つまり他の事務は「提示額=基本給」がほとんどなのに対し、医療事務は資格手当などを乗せて月給を作っています。
これは、求人票を並べたときの見え方に効きます。提示額だけを見て「一般事務とそれほど変わらない」と判断すると、賞与や昇給を基本給基準で計算する会社では、入社後に差が開きます。手当と基本給の関係については「求人票の手当は月給を上げない。実査1.6万件でわかった基本給の削られ方」で職種横断のデータを扱いました。医療事務は、その構造がはっきり出る側の職種です。
経験を要件にしても、医療事務では月給が動かない
「経験者を採りたいので、経験必須にして条件も上げる」。これも医療事務では効きにくい打ち手でした。
事務全体では、経験を必須にしている求人の提示額は20.8万円で、不問の20.0万円を上回ります。ところが区分ごとに見ると、効き方がまったく違いました。
- 経理・会計事務——経験必須22.0万円/経験不問20.0万円(2.0万円動く)
- 医療・調剤事務——経験必須19.4万円/経験不問19.3万円(0.1万円)
医療事務では、経験要件で月給がほとんど動いていません。「経験者だから高く出す」という相場が、この職種では形成されていないということです。裏を返せば、経験者を条件面で口説こうとしても、周囲の求人と横並びになりやすい構造にあります。経験要件の書き方そのものについては「「経験者優遇」では月給が上がらない。10職種5万件で見た経験要件の相場」で整理しました。
比較されている相手は、近隣の医療機関だけではない
ここまでのデータから、採用側が置き直すべき前提がひとつ出てきます。医療事務の求人は、求職者の画面のうえでは「事務」の一覧に並びます。近隣のクリニックや病院とだけ比べられているわけではありません。
その一覧では、事務全体の提示額の中央値が20.0万円、医療・調剤事務が19.0万円です。同じ「事務」の枠のなかで、1万円低い側に置かれた状態から始まっていることになります。支援の現場でも、応募が集まらない求人ほど、比較対象を同業種のなかだけで設定している傾向があります。
さらに、市場そのものも混んでいます。マイナビの2026年6月度 中途採用・転職活動の定点調査によれば、その月に中途採用活動を実施していた企業は全体で43.3%であるのに対し、医療・福祉・介護は50.3%と業種別で高位にあります(企業n=816)。採用に動いている事業所の割合が高い分野で、相場の下側から募集を出している——これが医療事務の採用の初期条件です。
月給欄の外で、差をつけられる場所を探す
では何ができるのか。月給の相場そのものを職種の枠ごと動かすのは現実的ではないので、比較の土俵を月給欄の外に移すのが実務的な手です。今回の実査データからは、次の3つが具体的な材料になります。
- 基本給を割らずに出せるなら、内訳を先に書く。医療事務は基本給比率92.9%の職種です。逆に言えば、提示額と基本給が同額であることは、それだけで求人票のうえでの差別化になります。他の事務は100.0%が標準なので、求職者がその比べ方を知っている可能性も相応にあります
- 年間休日と残業の実績を数字で出す。今回実査した事務11,556件の年間休日は中央値117日、月平均の時間外労働時間は記載のあった9,063件で中央値10時間でした。自院の数字がこれを上回るなら、月給1万円の差より伝わる情報です
- 賞与と昇給の「実績」を書く。事務求人の94.2%に賞与制度、95.6%に昇給制度があります。制度があること自体は差になりません。差になるのは支給月数や昇給の実額のほうです
職種の相場が低いこと自体は、その職種を募集する以上、前提として受け入れるしかありません。ただし「業界が低いから仕方ない」で止めるか、「職種の枠で低く置かれているので、月給欄の外で取り返す」と考えるかで、打ち手はまったく変わります。看護師についても同じ構造を「看護師の採用が難しいのは、月給が実額とズレる職種だから」で扱っています。
まとめ
- 事務11,556件のうち、医療・調剤事務(2,293件)だけが基本給17.5万円と一段低い。他の5区分をまとめた19.0万円と信頼区間が重ならず、5つの地域ブロックすべてで同じ向きだった
- 原因は業界ではなく職種。医療・福祉の事業所のなかだけで比べても、医療・調剤事務19.2万円対一般事務19.7万円で差が残る
- 提示額では差が縮んで見える。医療事務は基本給が提示額の92.9%(他の事務区分は100.0%)で、手当を乗せた分だけ見た目が近づいている
- 経験要件は効かない。経理・会計事務が必須22.0万円対不問20.0万円と2万円動くのに対し、医療・調剤事務は19.4万円対19.3万円
- 比較相手は近隣の医療機関だけではない。求人一覧では事務全体(20.0万円)と並び、1万円低い側から始まる。医療・福祉・介護の中途採用活動実施率は50.3%と業種別で高位
- 差をつけるのは月給欄の外。基本給と提示額を同額で出す/年間休日117日・残業10時間の中央値を上回るなら数字で書く/賞与と昇給は制度でなく実績を書く
※ 数値は株式会社KD3が公的職業紹介の公開求人を実査した求人相場ウォッチ(事務・2026年8月29日時点・N=11,556)にもとづきます。いずれも月給下限の中央値で、賞与・残業代の実支給額は含みません。事務の区分は求人票の職種名から機械的に分類しており、職種名で区分が書かれていない求人は「その他の事務」に含めています。媒体は公的職業紹介ひとつに固定しているため、民間求人サイトに出ている求人層の相場とは異なります。